海から8Km、標高36m、敷地面積900坪のどかな土地で、0歳から大人まで、遊びも、仕事も、勉強も‥‥‥がんばっていた。
2011年
3,11 津波は4〜5Kmも陸に入ったが、MMには、ほぼ被害なし。本が数冊落下しただけだった。
3,12〜 原発事故による避難開始。
子供らのほとんどが避難した。村から、町から、市から子供らがいなくなった。
今も実質避難児(もとの家に住んでいない子)は90%にも及んでいる
(福島県での避難者は公式発表約10万人。しかし実質避難者は約17万人と言われている。)
2011,4月〜 代表の避難先での支援開始
(南相馬教室は当分休止とする。再開の目途は全く立たない不安の日々。)
ボランティアによる相談、訪問。安否状況確認。
2011,5月〜
安否状況確認。 電話相談開始。 東京電力との相談開始。 各関係機関との相談開始。
2011,6月〜
送迎指導開始。 福島県内・県外訪問指導・相談開始。 宿泊指導開始。
2011,12月〜
南相馬教室の再開を検討するが、避難者が多すぎて断念。
2012,1月〜
南相馬教室での再開か、廃業か、移転か等の検討開始。各関係機関との話し合い。相談開始。
2012,5月〜
従たる事務所を宮城県に置くことの検討開始。
2012,6月〜
宮城県内での土地・建物の物件リストアップ・調査・検討。
2012、9月〜
MMの臨時総会にて役員改選・今後の方針についての話し合い、宮城教室設置決定。
物件購入決定。
2012,11,22
従たる事務所登記。「宮城県名取市愛島笠島字上平4番地」に置く。宮城教室とする。
2012,11月〜
改修、改装のためのレイアウト打合せ開始。
|